一円相の考え方やあり方は、遠州の実際の生花に、どのような形で具体的にあらわされているのでしょうか。遠州の書に、「当流の花は一体をまどかなる姿にいけなすべしといえるには、一円相は陽なり、半月は陰なり、この二つを合わせて陰陽合体の花というなり。されども真(中心になる枝)をたてるに円相の内より少しのびて良し、みつればかくる習、まどかなるはかくるに早き理ありて陰に近き故に真を少しのばしていくる、これ格を守りて格をはずすという」とあります。つまり、陰陽を合わせてまどかなる姿にいけるわけですが、円相を左右にわけて考えた場合、花姿の「外」に形どられる「半月」の陽と、花姿の「内」に形づくられる「空間」の陰とを合わせて、まどかなる円形の姿が瓶上にあらわされるのです。花姿はこのように半月形にいけられますが、その半月はあくまでも満月(円相)を想定した半月の形であって、残りの空間を構成の要素に含めていけられるのです。このとき、満つれば欠くる習のように、まどかにすぎてもよくないので、中心の枝(真)を陰陽合体の円相からすこし伸ばして格をはずすというのです。円相は、理念としては、「円にあらず方にあら」ざるものですが、生花の具体的な形態としては、中心になる枝をめぐってまどかなる形をとり、それを円相から外に伸ばして「不円不方」を象徴することになるのです。