「遠州」の花形⑨-F&P

いけばなは、人と、そして時代に育まれ今日に至っています。人の物の見方考え方、また時代の移り変わりの中で、いけばなのスタイルも立華から生花へ、そして盛花、投入花へと変遷してきましたが、水際は一つにまとめるという考えは、どのスタイルにも共通した規矩として守られてきました。 規矩といえば,真・行・留、その他役枝の寸法も予め定められ、その中で個性を発揮するにはかなりの習練を要することは、周知の事実です。

感性の時代と呼ばれている今日、時代が、あるいはわれわれが要求しているいけばなとは、どのようなものでしょうか。形や寸法に捉われる従来のいけばなから一度離れてみる必要はないでしょうか。
そのような目で野山を眺めてみますと、風に揺れる草花が互いに寄り添い、語り合うような光景を目にします。むしろ根元よりも上部の枝や花の語らいの声を感じます。その光景を自分なりにみつめて構成するとどうでしょうか。
F&P(エフアンドビー)と名付けた新しい花は、まさにこのような光景を、自分の感性・感情(Feeling)に訴え、詩的(Poetic)に表現する花なのです。

 

  • 感性・感情(Feeling)を詩的(Poetic)にいける。
  • 植物と植物の出合いをとらえる。そのためには、挿し口は2カ所以上あってもよい。
  • 形や寸法は特に定めない。

「遠州」の花形⑧-盛花・投入花

盛花

口の広い、背の低い水盤形式の花器にいける花のことで、花材を盛り込むようにいけることから盛花と呼ばれるようになったのです。花留には、ほとんど剣山を用い、さまざまな傾向の花をいけることができます。この幅広い機能性と初心者が勉強しやすいという点に、盛花の大きな特徴があります。

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盛花 傾斜体

傾斜体は、横に出る枝の振りをいかしていけるので、動きのある変化に富んだ花体となる。

 

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盛花 水平体

水平体は、流れるような枝の線を生かすので動的な花形といえるが、反面、左右に釣合いのとれた花形で、静的なムードも持っている。

投入花

口がせまく丈の高い、壷とか瓶とかいわれる花器にいける花のことです。盛花のような花留を用いることができませんので、投入花は添え木をしたり枝を折ったり割ったりいろいろな仕掛けをして花材を留めます。このように簡単な留め方で花をいけますので、おのずから自然の草木の枝ぶりを生かすことになり表現傾向はややせまくなるきらいがありますが、それだげ深い美感をあらわすことができるわけです。

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投入花 下垂体

下垂体は真が花器の口から垂れ下がる風流ともいえる花体。奔放になびいたり、たれさがったりする花材を生かすために、花形も花材の個性にしたがった姿をとることが多く、一定の形におさまらない場合ががある。花材の特徴を生かすよう心がけていける。

 

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投入花 傾斜体

投入花では傾斜体を基本と考える。それは投入花が斜めにいけるくだけたいけばなとして発生したことにもよるが、花器そのものが花材を傾斜させていけるのに適しているからでもある。

「遠州」の花形⑦-自由花

いけばなを作品として構成するとき、組み立てる構成を要素をみつけ出し、その形、空間、動きなどの特性をとらえていかなけれぱなりません。そしてその構成要素とは、つきつめていくと点・線・面の三要素に集約されています。ここでは、花材要素を点・線・面におきかえ、おのおのの空間的感覚の特性を分解し、あらためて組み立て直すことを考えていきたいと思います。

位置を示す点が連なってできる線は方向性を表わし、線が集約されて面を形成し、形の性格を考えながら量的なバランスをとっていきます。つまり、点から線、面への要素の変化に、その性格の特徴のさまざまな空間的感覚を見せ、花材要素に還元し直して視覚的に、より的確有効にイメージを伝達できる作品をつくり出す方法を考えていきたいと思います。

「遠州」の花形⑥-現代花21

現代花21は、7つのフォーカスを役枝とみたててドーム型の中で構成するものです。花材も新しい花が種類多く市場にでまわっています。
人々の生活空間、美意識も変わりつつある今日、21世紀の「遠州」の現代花として登場しました。

中心部にレースフラワーを使って、①から⑦のフォーカスには紫のスイトピーで外りんをとりまくような扱いです。彩度の低い花で中心の白い部分がより強く、浮かび上がります

「遠州」の花形⑤-新生花

遠州の生花は、円相と天地人の理念をもとに「曲・質・時」の内容をととのえて自然の理想美を求めてきましたが、その姿は時代とともに多少とも変化せざるを得ないのが自然といえます。
もちろん、これまでの生花を否定するものではありません。それだけでは満足しがたいほど多面的になった現代の要求に、生花という枠組みの中で答えようとするのが、いわば新生花の考え方です。
新生花は古典生花が持っている役枝の変化の面白さを充分に理解し、自分の中で再度組み立てます。

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寒桜を、内胴流し風に勢いよく振り出し、枝先を吹き返しの枝のように立ち上がらせています。桜の枝が流しとなり線を強調していますので、真の部分にさつますぎをしっかりとすえています。このさつますぎは、整理のしにくいものですが、このような花材はあまり持ち味をころさないようにだんだんに、無造作に扱うことも時には大切になってきます。形や風情の異なったものが作り出す作品は変化があって楽しめます。

 

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今、まさに枯れはてる一瞬の輝き、紅葉の持つ美しさは、言葉には表せない美しさと、切なさがあります。 秋深く紅葉物が出回るとき、生け手の私達の心を揺さぶるものがあります。

 

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上段の流し、かぶり、落としといわれる枝使いを頭に入れ、寒桜の多数の枝ぶりをあまり落とす事をせず、左右へも広がりを持たしながら使っています。
古典生花では出来ない枝使いです。

 

新生花は数種類の花材をとりあわせていけますが、それぞれの花材の持ち味を生かさなければならないということで、花材のとりあわせが大切になってきます。

静から動へと移る瞬間に快い動きを感じるもので、動きっぱなしの作品というものは非常に不安定で、また、軽薄な印象を与えるものです。もちろん動きだけで構成する作品も考えられます。また、あえてそのような感覚の花材をとりあわせるといういうのも、1つの面白さが感じられるものです。

バランスを充分にとりながら、安定した中の動きやはかなさを出す、ということが遠州のいけばなの根本思想になっていますので、外側にウェイトがかかりすぎたような場合、内側のどのあたりでそれを補うのか、違った形のものを出しながら、それでいてバランスをとる方法を考えていかなければなりません。

「遠州」の花形④-節楽花

現在、植物の栽培技術の急速な発達に伴い、季節感をなくした草がお花屋さんの店先を賑わせています。 従来周年ものと分類されていた草木以外に、1年中出回っている花が多くなり、季節感も喪失してしまいました。節楽花は、 いけばな本来の姿に立ち戻り、歳時暦、特に二十四節気と密接関係を保ち、節気を楽しむ花として位置づけられます。

移り変わる四季を感じる

伝統的ないけばなの自然と共に生活する考え方は今を生きる上で最も重要な事であり、少なくなったとはいえ日本の移り変わる四季は生命の大切さを感じ、生きる事への偉大な力を感じるものであります。自由で豊な発想からなる植物の新しい美や心の発見も大切ですが、広く多くの花を愛する人達に親しみやすく、自然を感じ、その移りゆく姿に感動を与える花なのです。

歳時とは、文字どおり年と時、一年中の折々の自然・人事・諸事全般を指します。その節目節日が節句であり、その間あいだに節気があります。二十四節気は一年を12等分したもので、個々の名称は簡潔で美しい季節の言葉の数々です。これは中国から伝わった暦の一種で、古代の天文学に、基づいてつくられたものですが、四季折々の時候、天文、地理、動植物の様子が的確に捉えられています。わが国にも早くから取り入れられ、日々の暮らしが四季の移ろいに最も密接に結びついていた時代には、広く愛されたものでもあります。

四季の草木の自然のありようを、出生を生かしながら一瓶上にあらわそうと試みたいけばなは、その誕生当初から歳時暦と共に発展してきたと言って過言ではないでしょう。それは、伝書を繙けば必ず歳時と行事の花の秘伝がみられることでも明らかです。

 

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新緑の美しいイタヤカエデでは、これから新芽が伸び緑が増す頃、水辺にはかきつばたの花が開きます。上・中・下段にイタヤカエデを配しながら中段の空間を意識し、そのなかにかきつばたを配しています。花一輪を生かしながら季節の水辺を感じさせます。(5月21日・小満)

 

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上、下段に分けた作品で、下段は複合として、椿の葉となでしこで構成しています。ここではフトイを季の花として扱い、夏の深まり繁りを増すフトイのイメージを大切にしています。梅雨時の梅や風で折れた風情も表しています。(6月中・大暑)

 

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上・中・下段に配された花材で構成しています。夏の花、ひまわりを季節の花として捉えています。下段にあせびをマッチ状に配し、上段のひまわりを印象づけます。中段にはアメリカシャガを使って作品の強弱の変化をつけています。(7月中・処暑)

「遠州」の花形③-正風花

正風花とは生花の基本の花型と理解していただければよいと思います。

生花に於いては、天地人日月星辰乾坤と呼ばれる9本の役枝によって完成させますが、この9本の役枝の元になる枝は天地二枝からはじまります。ひと枝は天に向かって伸ぴて行く枝であり、もうひと枝は水際を引きしめるように下段に位置する枝の事です。この2本の枝の中間から張り出すように伸びる枝、流し枝又は持ち出しの枝と呼ばれるものが加わって3段の花形をつくります。これが人(行)の枝と呼ばれるものです。
遠州ではこの流し枝に面白味と植物の自然の伸びやかな姿を求めて非常に大切な枝として扱われます。このように3本の役枝を基本の考えとして構成するのが正風花です。

山・里・水

自然の植物をもって構成する遠州の生花は自然の景色を写すという考えがあり、天、地、人の役枝に上段の方から山のもの、里に生育するもの、そして下段に水辺の植物を配するように教えられています。

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「遠州」の花形②-生立華

生立華は初期の頃、神仏への献花・供華としての性格を残していました。そのため、一枝一葉に祈りをこめて生けられたと考えられます。

生立華の構造は、大自然の山嶽美を理想化したものです。つまりその姿は、大自然が遠く近くに展開する景をさながら連想させるものです。

生立華は立てる花

生花や盛花は、「いける」と言い、決して生花を「立てる」とは言いません。つまり、生立華は立てることを原則とし、大自然の美とその心を表現しようとする花なのです。

遠州のいけばなの根本

遠州の生花の流麗な美しさは、流内外に知れ渡っていますが、その生花は、生立華から生まれ、生花の天・地・人の三枝の基本概念が盛花、投入花の様式を生んだのです。

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「遠州」の花形①-生花

一円相の考え方やあり方は、遠州の実際の生花に、どのような形で具体的にあらわされているのでしょうか。遠州の書に、「当流の花は一体をまどかなる姿にいけなすべしといえるには、一円相は陽なり、半月は陰なり、この二つを合わせて陰陽合体の花というなり。されども真(中心になる枝)をたてるに円相の内より少しのびて良し、みつればかくる習、まどかなるはかくるに早き理ありて陰に近き故に真を少しのばしていくる、これ格を守りて格をはずすという」とあります。つまり、陰陽を合わせてまどかなる姿にいけるわけですが、円相を左右にわけて考えた場合、花姿の「外」に形どられる「半月」の陽と、花姿の「内」に形づくられる「空間」の陰とを合わせて、まどかなる円形の姿が瓶上にあらわされるのです。花姿はこのように半月形にいけられますが、その半月はあくまでも満月(円相)を想定した半月の形であって、残りの空間を構成の要素に含めていけられるのです。このとき、満つれば欠くる習のように、まどかにすぎてもよくないので、中心の枝(真)を陰陽合体の円相からすこし伸ばして格をはずすというのです。円相は、理念としては、「円にあらず方にあら」ざるものですが、生花の具体的な形態としては、中心になる枝をめぐってまどかなる形をとり、それを円相から外に伸ばして「不円不方」を象徴することになるのです。

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杜若の株分け挿し

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水仙を三段にいける